おもしろいウサギ

関西に住むバツ2の母とハーフの娘の日々を綴ります

看護師君 仕事を辞めていた

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4歳で生き別れた息子は今年24歳になります。

 

病院での彼の話は知り合い伝いで聞き、陰から心配しながら応援していました。

 

先日その情報網から「三月末で病院辞めてんてー」と聞きびっくりしました。

 

少しショックな感じ。

 

昔、男の子を立て続けで二人産んだ私はクソ姑に「あーあー女の子がよかった!」と言われました。

離婚するときに言いたいことがあれば言えといわれたので、上記の件↑の話をして、男二人産んでるお前が言うな!ほんならお前が産め!クソが!」と言って差し上げました。

 

それはさておき、当時看護師というのは女性が主なお仕事でした。看護婦と呼んでいました。看護師になった長男は生後4ヶ月頃からアレルギーが強く10ヶ月頃から喘息でしょっちゅう入院をしていました。

一か月に2度入院したり、「この間退院したのにまた来たん?」と言われ冗談で笑いが出るほどの常連でした。数えきれないほど病棟でお世話になりました。

 

母子入院するので、沢山の看護師さんを見ていました。子供に一人女の子が居たならナースになってほしいなとボンヤリ思っていました。

野球選手もいい。一人ぐらいミスターレディーになるのもイイと本気で思っていました。今でいうオネーですね。

 

長男が看護学校を目指すと知って驚きました。そんなことある?当時誰にも言わなかった思いの記憶がよみがえりました。

えー嬉しい!時代は変ったんだと思いました。

 

次男に探りをいれると、看護師君は4月から寮付きのところで仕事をしているとのこと。学生の頃の友人がいるそうで一安心。

次男曰く、「何事もガマンが必要やねんけどな~」とのこと。

 

何より嬉しかったのは、長男もDV父親のもとを離れたこと。

私は離婚でDVから逃げることができたけど、元夫は別れた後からは息子たちに暴力をふるっていたのです。

息子たちは高校生の時に耳の鼓膜が破れたり、ラグビー部で学生の頃頭を10針縫うけがをしました。もちろん父親に殴られてのケガです。また後に詳しく書きますが、息子たちは小さいころから父親からの暴力が常だったので、抵抗しなかったそうです。殴られたら気が済みはるからと絶えたそうです。

 

後悔しました。息子たちを手放したことを。

2度の結婚も離婚も3度の出産もやってよかった。後悔はないと思っていたけど、息子たちを引き取れていたら、どんなに貧しくても親に殴られることはなかった。心も体も暴力でケガをすることはなかったはずだと。

息子たちを手放した事、不本意であっても、ごめんなさいと唱えながら、健康を祈りながら十字架を背負って生きていくんだと考えていました。

お参りするときはいつも息子たちの幸せを祈りました。青山テルマの「ここにいるよ」

に自分を重ねて何度も泣きました。全てがバカみたいでした。

息子たちは幸せではなくDVを受けていたのです。虐待を受けていたのです。

 

次男が先に独立し、長男が独立しました。

誰のおかげで食ってると思ってるんや!しつけや!と殴っていた父親の元を

自力で離れてくれて、頑張ってくれてありがとう!

感謝の気持ちでいっぱいです。